89歳の名スイマーにして大コレクター、僕の最高齢の友人難波さんのことを前回書いていたら途中でいろんなことを思い出したのでその続き。

七八年前漆芸家の角偉三郎さんを難波さんの所にお連れしたことがある。輪島の名門に生まれながら輪島の漆の枠をぶち壊し、新たな独自の漆世界を切り開いた角さんは、そんなイメージとは裏腹な至って温厚なジェントルマンだ。だからか特にご婦人のファンがわんさかとおられるが難波翁も以前から角さんの作品がお好きで、個展を機会に岡山に来られた角さんのために一席設けられた。その夜は本当に楽しかった。お二人とも腹の底からの信頼をさかなによく飲み、食べ、笑われた。

角さんは禿げている。だからおでこと頭の区別無く夕陽のように赤く染まり、褒められると大きな手でそのあたりをごしごしとこすられる。禿げているのが角さんにはこの上なく似合っているので僕には角さんの他のヘアースタイル(?)がどうしても想像できない。

『だるまさんだな……』と思う。

達磨大師は一説によるとキリストの12人の直弟子の一人トマスのことで、キリスト昇天の後ユダを除くその者達は火傷しそうなほどの熱い思いを懐に世界に旅立ったのだが、インドに布教に赴いたのがトマスであったそうな。その真偽のほどは確かめようもないし、我が日本国の大小の選挙にいちいちかつぎだされるあのダルマさんのような風貌であったか、そして手足のない体であったか、何もかもわからない。だがそれらのイメージを勝手に結んだりほどいたり並べたりしているとなにやら興味深いストーリーがいくつも浮かんでくる。そしてなおしつこくその怪しげなストーリーをそっと現在にだましだまし引きずってくると、僕には難波さんの「無力泳法」、角さんの漆の世界とちゃーんと重なって見えるのだ。それはもちろん僕一人だけの奇妙奇天烈な物語だ。

話はよじれによじれて再びトマスに戻るが、トマスはかなり強烈に疑い深い男だった。死んで三日後にキリストが復活した時他の弟子達はその姿を見て皆驚き、畏れ、歓喜に打ち震えたのに、トマス君だけはあろう事か槍に刺されたキリストの脇腹の傷口に指をつっこんでその事実を確認した。恐るべしトマスの科学的経験的実証主義!だがそのトマスがどこでどう科学の誇りをポイと捨てて強烈なキリスト主義に大転向したのか。僕はこのおじさんが結構好きだ。見たもの、触ったものしか信じない人間がある瞬間に全部見事に裏返る。これはやはり人の技ではないのだろう、と思う。

そして僕は最後にやはり難波さんの「自分で自分の力を抜くことはできんのじゃ」という言葉の正しさを思う。だから今日も明日も僕は相変わらず歯を食いしばったり、剥き出したりしながらかっこわるく生きていくことになる。あぁぁあ……。

矢野エッセイ
その12「無力の速さ」
矢野エッセイ
その79「祝! …… ?」