グロスのHPが新装なったらしい。僕もグロス村の一住民としてこれはお祝いせねば、と考えた。金一封という手も一瞬頭を掠めたのだがそんな水臭いことはグロスマスターKに申し訳ない。思い直してお祝いのエッセーでも書こう。

ところがいざ書き始めてみるとどうも最近おめでたいとかお祝いだとかにまつわる話題よりその反対のテーマの出来事の方が断然多い。生まれる、始める、合格する、ということより終わる、辞める、亡くなる関係の方が身の回りにふんだんにある。これが歳をとったということなんだろうか。

このエッセーにもかつて登場していただいたずっと年上の友人(僕が勝手に思っていた)、大コレクターの難波翁が85歳ぐらいの頃に「茶を飲める相手がおらんようになった……」としみじみと語られていたことをよく思い出す。茶人としても知られていた難波さんは人を招いて茶を振舞われることがお好きだったが一杯の茶を通して無言の芳醇な会話を楽しめる相手は極限られていたんだろうと思う。

先日来僕は久しぶりに「カメラが欲しい」病に罹った。どうもこの病のウイルスは僕の体内にずっと密かに潜伏していて10年周期ぐらいで発症するようなのだ。このエッセーにもかつて僕とグロスマスターKとの間でねちこく交わされたカメラにまつわる恥ずかしい戦いの話があった。今回HP新装なったおかげでちゃんと書いた日付が確認できるようになったので見てみたらなんと2005年11月28日とあった。ワオ! 17年前である。満を持して、である。

まずカメラマンのH君に電話をした。「カメラ買おうかな、と考えてるんだけど色々教えて」

数日後僕とH君はグロスで待ち合わせをした。H君はとても優秀なプロカメラマンでありJ2のファジアーノ岡山のカメラマンでもある。そして数多おられる僕の恩人の一人でもある。今住んでいる岡山県玉野市のこの家も元はH家のものであったのを格安で譲っていただいた。他にも作品の写真を撮ってもらったこともあるし忘れてしまったが何だか色々お世話になった気がする。とにかくなんでも知っていてなんでも我慢してくれるありがたい紳士なのだ。そのH君が僕のいろんな条件に合うカメラとして推薦してくれたのがOLYNPUS OM-D E-M5 Mark3というカメラだった。それから僕はそのオリンパスナントカMark3について情報を集め始めた。確かに素晴らしいカメラみたいだった。じゃあすぐに買えばこの話はここでめでたく終わるのだがそこはそれ、こういうことをするめをしゃぶるみたいに思い切り引きずるのが大好きな僕は会う人毎にカメラの話を持ち出して意見を聞いたりH君仕込みのにわか知識で対抗したりと傍迷惑この上ないのである。

H君にレクチャーしてもらった数日後用事があって同じ玉野に住んでいる陶芸家のS君を訪ねた。近況を報告しあった後まるでふと思い出したみたいに「あんたカメラは何を使ってるの?」と聞いたところ「OLYNPUS PENですよ」と言って仕事場の奥にある事務所みたいな部屋からそれを持ってきて見せてくれた。それがなんともいい感じのカメラなのだ。手のひらに収まるほどの小さなカメラでありながら昔のカメラの雰囲気もちゃんと残していてモノとしてやたら所有欲を刺激する。ずっと年下のS君の優しさに甘えてしばらくPENを借りることになった。OLYNPUS PENはオリンパスの機種の中ではごくカジュアルなラインナップなのだが写してみると全く悪くない。はっきり言って僕にはこれで十分すぎるほどの性能に思えた。心が揺れた。

さて、それから一週間ほどのち場所は変わって銀座のバー ルパン。銀座のギャラリー田中での個展初日の夜いつも東京でお世話になっているI君が連れてきてくれた。ルパンは昭和初期に開店し、当時の人気作家であった太宰治、川端康成、永井荷風や画家の東郷青児、藤田嗣治などが常連であったいわゆる「文壇バー」である。このルパンが後々も人の心に留まることになったのには一枚の写真が大きく影響している。それは林忠彦が撮った太宰治がルパンのバースツールに座って寛いでいるものだ。その一枚の写真から後の世の僕たちはその時代が孕んでいた濃密な「無頼」の空気をむせるほどに呼吸できる。そんな文化遺産と言ってもいい店のバーカウンターで僕とI君はやはりカメラの話をしていた。I君はオリエント美術を中心とした美術商なのだが作家活動のようなこともしている。僕よりずっと若いが大変な博識で多方向に豊かでややこしい人脈をお持ちのようである。そのI君の愛機もやはりOLYNPUS PENであった。前述の陶芸家S君から見せられたときはただ可愛いカメラだな、という第一印象であり借りて使っているうちに「これで十分だよな、欲しいなあ」と思うようになり今回I君までそれを愛用していることを聞いたら「オイラが欲しかったのはこのカメラだったんだ!」と信じるに至った。たった一つの偶然に運命という大仰な意味を盛り込むのは僕の得意技でありこのルパンの時代を超えた無頼な空気もそれに拍車をかけた。気分はもうPENである。

岡山に帰りその話をグロスマスターKにしたが僕がお土産に渡したルパンのマッチに気を奪われてすっかり馬の耳であるが思い出したようにパンフレットを渡してくれた。それはH君がわざわざカメラ屋まで行ってもらってきてくれたOLYNPUS OM-D E-M5 Mark3の立派なカタログであった。こういう律儀で痒いところを掻いてくれるような優しさがH君である。それに対して痛いところに塩をすり込むのが僕とKである。

さて、それからしばらく経ってコーヒー豆を買いにグロスに行くとKのお顔が不気味に輝いている。「Hさんがもう矢野さんの相談には乗りませんとおっしゃっていましたよ」

どうやら僕がPENを買いそうになっていることをH君にちくりやがったようだ。ことの成り行きを理解した僕は「そうだよな、その気持ちは大いに理解できる」とグロスの天井を眺めながら唸った。確かに僕にはそういう人を怒らせたり呆れさせるところが少なからずある。人の話を聞くのは、特にH君のようなプロを長くやってきて実戦を伴った経験に裏打ちされた話を聞くのは大好きなのだが聞いてもその通りにしない。言うことを聞かない。こうやって僕は人の信用を失っていく。

で、結局僕は何を買ったかというとOLYNPUS OM-D E-M5 Mark3ではなくPENでもなくその前の機種のOLYNPUS OM-D E-M5 Mark2というカメラであった。一体何がどう転んでそうなったのかはあまりにややこしい話なので省くが一番大きな理由は安かったからである。その顛末をまたKはH君に話したみたいだがH君はもうほとんど興味を失っていたようだ。「なんでもいいんじゃないですか」とボソリとつぶやかれたみたいである。

ここまで書いて読み返してみたら一体最初の目論見であっった「おめでたい話」はどうなったんだ、と自分に突っ込みたくなった。HP新装なっての祝賀気分はどこを探してもどう読み込んでも見当たらないね。いつものことではあるが。ところでこのHPを根本的に作り直されたのはグロスの重要なブレーンの一人であるNさんだ。本業は翻訳家であるがコンピューター関係にやたら詳しく僕とKとの間で何かモヤモヤと結論の出ない不毛な議論が交わされた後には必ず「またNさんに聞いておきます」で締め括られる。しかも何か作業を発注してもNさんへの支払いはこのグロスの仮想通貨である「コーヒーチケット」で大丈夫みたいなのだ。多分今回もそうに違いない。H君、Nさんはじめ有能で優しい方々のほぼ無償の善意か慈悲の御心に支えられて今日もグロスは生き延びている。めでたいといえばこれほどめでたいこともないのではないか。

ほーら、うまくまとまった。祝!

矢野エッセイ
その22「悲惨な闘い、グロスにて」
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番外編
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その12「無力の速さ」