そのバンドには名前すらなかった。ドラム、ベース、サックス、それに僕のギターというカルテットだった。

僕は22歳、一文無しで東京から岡山に帰ってきてサックスのHさんに誘われ、拾われた。キャバレーバンドは初めての仕事で、いきなり初日に数十枚のスコアを渡され、何が何やらわからぬまま流れるような背中の汗と共に数日が過ぎた。ステージの上でHさんから怒鳴られ、横目でにらまれているうちに一週間ほどで殴り書きのスコアを読むのにも少し慣れてきて楽屋で話をしたりステージの上から妖しげなことこの上ない店内を観察する余裕も出てきた。

初対面だとか初めての経験だとか大勢の前で話をするだとか、そういうことに動じなくなったのは多分その時に流した大量の冷や汗のお陰かな、と思う。そして結局本番でしか振り絞ることの出来ない力というやつがあって、その力を使わないと乗り越えられないハードルがあって、そのハードルを越えなければ手に入らないものこそが人を目的地に連れて行ってくれるのだと思うようになった。

その副作用もやはりあって、着実に一段ずつ階段を登るようなことがアホらしくて出来なくなった。まずは恥をかいて、冷や汗を流して、そこからが勝負やんけ、みたいないびつな人生観が根付いてしまったのはいささかまずかったかもしれない。ま、功罪はともかくそのキャバレーバンドでの仕事で得た物が僕の生き方を方向付けたのは間違いない。

そのキャバレーは「ウラシマ」という。当時岡山随一の高級クラブとして知られていた「烏城」という店の真向かいにまるで喧嘩を売るように突然オープンしたピンクキャバレーだった。店の作り、ホステスの質、客層、何もかもが正反対のやぶれかぶれの店だった。

ウラシマでは二つのバンドが交代で演奏をしていたから休憩の時はコーヒーを飲みに行ったり、烏城の控え室に遊びに行ったりした。ステージでは知り合いのバンドマンが趣味のいい、でも結構ホットなジャズを演奏していて、それが正直言って羨ましかった。僕達のバンドといえば、ジャズらしきものに加えラテン、ロック、歌謡曲、時には軍歌までもレパートリーにあって、客が喜ぶなら何でもあり、だった。詳しくは書かないがフロアーでもやはり何でもあり、だった。ショータイムになると店内は真っ暗になり、目をこらすとホステスが客に馬乗りになって暴れているのが見えた。

その頃僕は休学していた大学に復学し、夕方まではわりと真面目に、というより入学以来初めて学生らしく勉学に励み、夜になると男と女の天国なのかあるいは地獄なのか見極めの難しい、大学とは似ても似つかぬ別世界を生きる二重生活を送っていた。

イタリアンやフレンチの料理法に「乳化」というのがある。水分に熱を加えながら微妙なタイミングでオリーブオイルなどを加えていくと一体化してソースやドレッシングが出来るのだけれど、その頃の僕は水と油の昼と夜を僕の中で乳化させ、それはそれでなかなか味わいのある生活だと気に入っていた。

その頃のことを今でもふと思い出すことがある。ウラシマの名もなきバンドのレパートリーだった曲を無意識に口笛で吹いていたりすることもある。だが最も強く印象に残っているのはその数十曲のスコアにあった曲ではなく、番外の二曲だ。一曲は「ウラシマ音頭」というその店のテーマソングで、当時テレビのCMでしつこくかかっていたから覚えている方もおられるかもしれない。もうこれ以上アホらしい曲はない、というぐらい脳天気な音頭で、「ホーレホレホレウラシマァー、ウッラッシマ!チャカチャンチャ、チャンチャン!」で終わる八小節の、投げやりな、生きているのが嫌になるような名曲だった。それを来る日も来る日も開店の時、バンドチェンジの時と、一日何度も演奏した。もう一曲は曲名は知らないが毎日一回ずつ聞いた。

ウラシマでは開店前に朝礼(?)があって、店長が全ホステスを集めて毎日気合いを入れる。月に一度は指名の多い順に優秀ホステスの表彰が行われる。それらのセレモニーが終わると全員がアカペラで歌を歌う。それは多分社歌のようなものだったのだろう。なんだか唱歌みたいな、昔の小学校の校歌みたいな、明るく健やかで、ちょっと切々とした歌だった。目を疑うような化粧をして、目を背けるようなミニスカートをはいた数十人の女達が大きな口を開けて真面目にその歌を歌う姿は、僕にとって「昭和」の象徴としての一シーンである。その歌の歌詞のほとんどは忘れてしまったが、最後は「明日に向かって生きようよ?」で終わる。その歌が終わるや否や我ら名もなきバンドが突撃ラッパの如くウラシマ音頭を大音量で奏で、一日の戦いが始まるのだった。

彼女らの日常は「明日に向かって生きようよ」と励まされ慰められつつ、ウラシマ音頭に突き飛ばされるように男達に襲いかかるのだった。その痛ましい純情と肉食獣の猛々しさ、その水と油が何の無理もなく乳化していたのか、いかんともしがたく哀しく分離していたのか、今でも僕にはわからない。それがあの時代にのみ生じた妙な味わいであったのか、あるいは「おんな」という生き物がDNAの二重螺旋のようにわかちがたく絡み合わせて誰もが所持しているものなのか、やはりわからない。わからない……。