グロス貸し出し文庫に本が増えていた。

「誰が持ってきたん?」

「ハクハツの紳士です」

僕とグロスマスターKの間だけで通じている人の呼称が幾つかある。ジュードー、レッド君、てっちゃんなどだがこの「白髪の紳士」というのもその一つ。文字通り見事な銀髪のハンサムな紳士なのだが本当の名前もご職業も僕は知らない。歳をとるとどうも固有名詞を覚えるのが苦手になるのだが何故か愛称を忘れることはない。

僕はその増えた本の中から藤沢周平の「小説の周辺」という随筆集を抜き取り、例の赤いポスト型貯金箱の口に小銭を押し込んだ。Kは知らぬ顔を装いつつ、鋭い視線で確認をしている。

僕は藤沢周平を読むのは初めてだ。若い頃は時代小説全般を嫌っていた。初めて読んだ時代小説は多分山本周五郎だったと思うのだがその後わりと平気になって何人か読んだ。でも藤沢周平はあえて読まなかった。嫌っているわけではない。むしろ大好きなのだ。尊敬さえしている。一度も読まずに大好きというのは矛盾しているみたいだが実はこの数年NHKラジオの朗読で藤沢作品を聞き続けてきてすっかりファンになってしまった、ということだ。

毎週月曜日の深夜、わずか15分ほどの朗読の時間を僕は欠かさず楽しみに聞いている。最初の年は「蝉しぐれ」、次は「三屋清左衛門残日緑」、そして最近終わったのが「用心棒じつげつしょう」(ラジオで聞いているだけなので漢字がわからない)。一つの作品が約一年かかる。読むのはNHKの松平定知アナウンサー。朗読というのは誠に奥の深い一つの芸だが僕はこの松平さんは当代一の朗読者だと思う。その見事な朗読芸とも相まって僕はすっかり藤沢周平マニアになってしまったわけだが小説はあえて読まないことに決めた。もし読んでしまった本がこの後朗読されることになったら困る。その一年、ストーリーを知りつつ月曜日深夜を迎えるのはたまらない。でもエッセイならその心配はないだろうとこの「小説の周辺」を借りたのだ。

「おまえ、山形は行ったことある?」

「えーと、ありますよ」

「山形のどこ、酒田?米沢?」

「えーと、どこというより山に登った時にそのあたり」

「そのあたり、ってどこよ?」

「ですから、まあ町じゃなくて山のあたりに。でも山形の山はいいですよお、鳥海山、月山、羽黒山、山、いいですよお、行かれたらどうですか」

「山は嫌いなの」

「じゃあ川」

「川も嫌い」

「お寺」

「寺も嫌い、山も川も寺も結構」

不毛である。噛み合わない。僕とKとはたまたまこうしてカウンター越しに澱んだ時を共有しているがここに至るまでの人生が全然違うみたいなのだ。

何故僕が山形の話を持ち出したかといえば藤沢周平の出身地だからなのだがそれとは別に最近なんとなく気になっている土地だからだ。先日「おくりびと」をDVDで見た。あれも山形が舞台の映画である。

昔、どういうわけか僕は「西びいき」だった。生まれは名古屋だし青春前期を函館で送っているのだから特に西に偏った人生でもないのに東京を含む東より関西を含む西の方が好きだった。高校野球でもベスト8に西のチームが多く残っていると嬉しいし、逆だと不機嫌になってテレビを見ないようにしていた。ラグビーでもサッカーでもとにかく全国的な競技では必ず西のチームを応援していた。その根はかなり深いようなのだが恐る恐るそーっとたぐり寄せてみるとどうもそれは函館時代にのめりこんだ競馬に思い至る。

僕がその頃肩入れした馬はなぜかほとんど関西馬だったのだ。確か昭和45年、4歳馬(今で言う3歳馬、いつごろから馬の年齢の数え方が変わったのか僕は知らない)のクラッシックレースで圧倒的に前評判の高かったのがアローエクスプレスという関東馬だった。申し分ない名血で堂々たる体躯、ライバルさえ思い浮かばぬほどの大本命だった。

そのアローエクスプレスを皐月賞、ダービーと負かしたのがタニノムーティエという関西馬だったのだ。その翌年のダービーで「他の馬が止まって見えます!」とアナウンサーに叫ばしめたヒカルイマイという馬も関西馬だった。

その頃から僕の西びいきが始まったような気がする。もっとも関西馬といっても「ほな、ぼちぼち走りまひょか」なんて馬がしゃべるわけではないし、生まれは道頓堀でも梅田でもなく北海道の牧場である。単に厩舎が関西か関東かの違いに過ぎないのだが圧倒的優位に立つ関東に対しての西の意地の反逆みたいなステレオタイプな構図が高校生の僕の中に出来上がってしまった。

他愛のない始まりなのだがこういう無意味な価値観が意外と後の人生を左右してしまう。西を好むのは勝手なのだが東を嫌うのは人生の半分の損失になりかねない。そう解ってはいてもなかなかこのへんてこな構図から抜け出せないでいたのだがここのところ藤沢周平のおかげでアレルギーが治りつつあるみたいだ。

そんなこんなのいびつな心を矯正すべく僕は「小説の周辺」を借りて帰り読み始めた。読んでみるとこれがなんとあまり面白くない。いや、面白くないというよりものすごく普通なのだ。藤沢周平という人物もその生活も、そのエッセイを通してみる限り見事に平凡なのである。でも不思議なことに僕は失望しなかった。面白くないエッセイを読んでいい気分になる、幸せになる。これ見よがしの芸も思わせぶりなややこしい内面も、何もない。普通の価値観を持った人が真面目に仕事をして、時々ローカルな取材旅行をして、たまに苦手な歯医者に行き、ほとんど毎日近くの安い喫茶店でコーヒーを飲む。

『なんだかいいなあ……』と僕は思う。僕も歳をとったのかもしれない。やっとしみじみすることを覚えたのかな。新しく始まったNHKラジオの朗読は「橋物語」という市井ものである。一年間充分しみじみさせてもらおう。

追記 5月15,16と個展で神戸に行って来た。16日を境に神戸はマスクの街に一変した。また神戸は受難の時を迎えている。僕は6月に京都でワークショップ、7月に大阪で個展と関西での仕事が続く。ワッハッハ……