一応明けましておめでとうございます。こういうひねたところが人から煙たがられる理由だとわかっているのに「じゃあなにかい、去年はそんなにつまらない年で、それが終わってめでたいということかい? 一年終わって何とか生き延びたっていうのにその去年に後足で砂かけるようなこたあ、おれはイヤだね」みたいなことをつい考えてしまう。

2007年は12月30日まで個展だった。隔年で岡山天満屋の最終週を締めくくることになっているので二年ぶりだった。このエッセイを振り返ると二年前の個展の二日目に亡くなったKさんのことを年明けに書いている。縁起でもないことは百も承知で今年もそんな話題から。

個展搬入の二日前、Oさんという方が亡くなった。彼は会計事務所の社長さんで、僕は直接の面識はない。会社をやっている友人がOさんの事務所に税理事務をお願いしているのだが、月に一度送られてくる社報に掲載されているOさんの文章がとても良い、そしてそのOさんが亡くなったとその友人から聞かされていた、に過ぎない。

個展初日、Fさんという知人が来てくれた。この人は声の大きい、まことに興味深い人で、旧国鉄を退社後は誰に頼まれたわけでもないのにそれまで買い集めた膨大な量の美術雑誌、カタログ類の記事を作家ごとに整理し、十万枚もの図書カードに分類して今でもこつこつと貴重、唯一無二のデータベースを作っている。

そのFさんが画廊の人達となにやら憔悴顔で葬式の話をしている。「どなたか亡くなったんですか?」と聞くとFさんは癖なのか細かく眼をしばたかせ、「親友が死んだんじゃ」と答えた。Fさんは画廊のソファーから立ち上がり僕の作品を見て回った。一回りするとまたソファーに腰掛け、ショルダーバッグから一冊の本をとりだした。「あんた、暇な時に読んでみられえ、あんたの感性と似たところがあるような気がするんじゃ」

それは「天窓」という随筆集で、著者はOとある。それが友人から聞いていたOさんだとはすぐには気がつかなかったのだが数ページ読むとその著者の本業が税理士であることがわかった。

「あ、これ二三日前に亡くなったG会計のOさん?」

「そうじゃ、わしと小学校の時からの親友でな、本当にええ男じゃった」

そのOさんがまだ若い時に書いた随筆をまとめたのがその「天窓」という本だった。

個展二日目、年末のデパートは地階以外は静かで、正月の初売りを前に息をひそめている。僕はたまに来る知人と話をしながら一人になるとその「天窓」を読んでいた。

午後、岡山建築界のボス的存在のKさんが来た。僕は読んでいた本を閉じ、テーブルに置いて何となく「Oさんをご存じですか?」と聞いた。一瞬Kさんは顔を少し曇らせ「このあいだ亡くなったOさんかな」と答え、テーブルの本に眼を止め、ぱらぱらとページをめくり始めた。ちょうどその時他の知人が来たので僕は席を立ち、しばらく立ち話をしてソファーに戻ったがまだKさんはその本を読んでいた。ページをめくりながらKさんは「こういう男じゃったんか……」と呟いた。しばらくしてようやく本を閉じ、「わしはどうもこの男を誤解しとったようじゃな」と言った。

聞けばKさんは大きな会社を経営していたOさんの義父と親しく、いろんないきさつから娘婿のOさんを幾分煙たく思っていたらしい。僕もこの本を読まず、また友人からOさんの文章の魅力を聞いていなければ単にやり手の税理士、つまり金儲けと金の管理の上手い成功者、としかイメージしなかっただろう。Kさんから聞いたいきさつからも確かにやや冷徹過ぎるイメージが浮かんだが、文章を読み、その上でそのいきさつを見ると、それはまことに人間らしい、賢い、ある意味で悪役を覚悟で引き受けることの出来る、真に信頼の出来る人に変貌した。

僕とはまったく関係のない、まして片方は既に亡くなっている関係ではあるがKさんとOさんとの間にあった誤解が解けたことが僕は嬉しかった。多分人と人の間には無数の誤解が横たわる。それをいちいち解きほぐすことに人生の貴重な時間を使い過ぎるわけにはいかない。

Oさんもまた膨大な誤解に囲まれてその生涯を終えたに違いないが残した言葉がこれからゆっくりとOさんの本当の姿を人の心にデッサンしなおしていくのだろう。

だが、もしも、僕の死後に誰かがこのグロスカウンターを本にしたとして、僕はどのように再評価されるのだろうか。それはちと不安である。まずい。もう少しまともなことを残しておかねば、と焦るのにそういう文章が書けない。そういうとグロスマスターKは虚ろな目つきで洗い終えたコーヒーカップを拭きながら「ですよねえ」と無意味にお答えになった。やれやれ。

個展期間中にはいろんな面白いこと懐かしいことが一杯あった。それは又次回。とにかく滋味深い文章というのは苦手なので今年はもっと頻繁に書き散らすことにします。

どうぞ今年もヨロシク!