8、12、25、これは僕の家の階段の数である。ガレージから仕事場の勝手口までが8段、仕事場から2階の屋内の階段が12段、ガレージの南側の門から2階の玄関までの石段が25段、家が斜面に建っているのでちょっとややこしいがこの三種類の階段を僕は1日に何度も昇り降りしながら何故かいつもその数を数えている。数えたところで段数が日毎に変わるはずはないのに数えてしまう。

今回のテーマは階段ではなく数、数字だ。誰しも物心ついた時から無意識にやっていてやめられなくなっていることがあるはずだが僕にとってはこの「数を数える」というのがその一つらしい。料理をしていたら大根を切りながら「一、二、三…」と数えているしコーヒーを淹れる時は湯を注ぐコーヒー用のケトルを上下させながら数えている。深夜に猫に起こされ餌をやった後ついでにトイレに行って用を足しながら寝ぼけまなこでやはり数を数えている。大抵は数えることになんの意味も目的もないのだから単なる癖にすぎない。

げに恐ろしきは数字である。数字は順番を表すこともあれば量を表すこともある。我々人間は数字で表すことが好きだし数値化することで「わかる」ことも確かに多い。なんとなくの印象であったことが数値化してみると「やっぱりそうやったんか」と腑に落ちたりすることもある。

僕はテレビを持っていないがインターネットのいくつかのサイトでドラマや映画を見ることはよくある。その経験上前からなんとなく感じていたのは日本のドラマはどうも情緒的な「感動」というものに妙にこだわりが強いなあ、ということだ。もちろん感動できたら満足するし多くの人が感動する作品は良いもの、と言えるだろう。だが日本のドラマの場合その方法、意図がちょっと見え透いていてそう感じると逆に気持ちがささくれて冷めてしまう。

テレビドラマは毎日視聴率という問答無用の「とにかく数字を出してなんぼ」の世界なんだろう。そこでは感動させるという方向性がまず間違いないものと思われているのかドラマの内容が恋愛ものであろうとサスペンスであろうととにかく感動をいかに演出してたくさん盛り込むか、が作る人に要求されているように感じる。もし僕がドラマの製作者であって上から「なんとか感動させんかい!」と圧力がかかったら手っ取り早い方法はやはりなんと言っても音楽である。

音楽ほど情緒に直結している分野はない。では日本のドラマと海外のドラマでは音楽の使用量が違うのだろうか。そう思った僕は果敢にも自分で測ってみることにしたのである。(暇やなあ、という多くの罵声にもめげず)

まず海外ドラマだがこれは僕が大好きなアメリカのドラマで「BOSCH」のシーズン2の第一話を選んだ。シーズン1を選ばなかったのは単にそれが現在視聴できなかったからにすぎない。このドラマはロサンジェルスを舞台にしたいわゆる刑事物で僕が大好きなドラマだ。日本のドラマに関しては僕はほとんど知らないのでGYAO!で今放映しているものから「アイゾウ警視庁心理分析捜査班」の2023年3月29日放送分を選んだ。BOSCHは45分11秒、アイゾウは45分09でほぼ同じである。それぞれのドラマで映像のバックに音楽もしくは効果音がどのくらい使われているかをストップウオッチで計測してみた結果BOSCHは4分21秒、アイゾウは25分52秒であった。

この違いは凄いと思う。大雑把に言ってしまえばBOSCHにはほとんど音楽は使われずアイゾウの方は全ての場面に何かしらの情緒性を盛り込むための音が使われていた、ということだ。ちなみにBOSCHのデータの方にはドラマが始まってしばらくして流れるオープニングロールの主題歌が35秒含まれている。この曲がまた素晴らしくてしかもその映像が毎回流れるのにあまりに綺麗でいつも見惚れてしまう。そのオープニングロールが終わるとほとんど音楽は使われない。

僕が「なんとなく」感じていたことが数字のデータでより明確になった、と思いたい。だってドラマを見ながらストップウオッチを操作するという誠に味気ない時間を過ごしたのだしここは納得したことにしよう。本筋から外れるけどこのBOSCHの主要な登場人物にランス・レデイックという俳優さんがいる。主人公のボッシュの上役でアーヴィングというロス市警本部長代理の役だがとにかく怖い顔をしている。長身痩躯のマッチョな黒人俳優だがこの方が先日急死した。まだ60歳であった。この人の演技の真骨頂として思い出す場面がBOSCHの中にある。まだご覧になっていない方のためにできるだけストーリーがわからないように描写してみるがこのアーヴィングにとって誰より大事であった若い警官が殉職してしまう。その葬儀の場面なのだが結構長いカットでその数分間(ドラマの数分間はものすごく長い)もちろん音楽は使われていないしセリフさえもない。ただ静かに儀式は進行しその場面の自然音がわずかに聞こえるだけだ。その緊張感、無音と無言のみが表現しうるシーンとして僕は圧倒された。

他にもドラマというものに関しては色々なことを考えているのだがそれはまたの回に。

「なんかいつもの景色と違うでしょ」グロスマスターKがカウンターの向こうからヌッと顔を近づけて囁いた。久しぶりにグロスに行ったら確かにいつものグロスと雰囲気が違う。若い女性のお客さんが多くて皆さんコーヒーだけではなくケーキを召し上がっておられた。まるでカフェである。Kが嬉しそうな、しかし幾分戸惑った顔で囁いたところによればちょっと前にInstagramで何千人もフォロワーのいる方がグロスに来て結構好意的な記事をアップしてくれて以来こんな状態が続いているらしい。Kは自分まで若返ったかの如くテキパキと注文をこなしている。『なんや、やればできるんや』と僕は内心呟く。

いつものお客さん達と彼女達が違う点がもう一つあってほぼ全員が支払いはPayPayなんだと。なんだかカウンターの向こう側のKとこちら側の僕だけが見事に時代に取り残されたクソジジイに思えてきて僕はチラチラと店内を見ながら好奇心といたたまれなさの板挟みになっていた。とは言え僕もPayPayは使うことがあるがグロスでは現金払いである。それは僕が現金、特に硬貨が大好きなのできっとKもお好きに違いないと確信しているからだ。僕は混乱した頭のまま硬貨でパンパンに膨らんだ財布を取り出し10円玉50円玉を含めてカウンターの上にコーヒー代を積み上げグロスを後にした。ちょっと心残りなのはお嬢さん方が食べていた「サクラケーキ」なるものがとても美味しそうだったことである。今度行ったらあれをいただいてみよう。カウンターに積み上げる硬貨もさぞかし立派な山になるに違いない。Kは今頃何を数えているのだろう。「さくらがひとつ、さくらが二つ、さくらが三つ……」