一つの個展が終わると幾つか脳の深いところに沈んでいく出来事がある。残念なのはそのほとんどが深いところから二度と水面に浮かんで来ないことだ。このエッセイはそんなもったいないことを避けるための備忘録みたいなものかもしれない。本当はここに書かなかった個展もたくさんある。それは印象が薄かったということではなく、その直後に他の個展が待ち構えていたとか、僕が冬眠してしまったとか、そんな時間的な問題なのだ。

「そろそろエッセイ頼みますよ」グロスマスターKの不気味な笑顔の脅迫に「ハイハイ、近いうちに……」などと答えながら優先順位に置いて先んずる仕事や蜂蜜集めに追われているうちに書くタイミングを逸してしまったに過ぎない。

実は昨年十月の新宿アルデバランの個展は僕には重要な意味を持っていた。ここのオーナーMさんは有能かつゴージャスという今の東京の華やかな象徴みたいな女性なのだが、彼女のお陰で僕の作品が昨年11月号の「ミセス」、今発売中の「銀花」春号に掲載された。よかったら見てね。

さて、その「銀花」が発売された直後の三月上旬に銀座のギャラリー田中で個展を開いた。「銀花」の影響もあって初めて僕の作品を見られるお客さんも多かったし、このギャラリーの特徴なのだが若いガラス作家(僕に比べるとほとんどのガラス作家は若いのだけど)もたくさん来てくれた。

「ドーモドーモ」「イヤハヤ」「アハアハ」「ウハハハ」などと浮かれているうちに僕の三日間の在廊期間は過ぎ、羽田からのJAL最終便で岡山に帰ってきた。楽しかったしお客さんは皆優しく、初めてお目にかかる田中さんの奥さんはいったいどんなテを使っているのかと呆れるほどお若く、可愛く、謎のベールに包まれた不思議なキャラクターを僕は堪能させていただいた。

その個展の初日の閉廊間際、古い友人のK君が来てくれた。K君とは函館中部高校からのつき合いである。というよりそのころから続いている友人関係はKだけになってしまった。彼とは高三の時発作的に二人とも美術大学に行く気なって酔いどれ絵描きのアトリエに通ったり、まあ、人生の馬鹿げた節目を一緒に経験した友人だ。今回の個展で幾つかの印象深い言葉があったけれど彼の言葉も何やらシミジミとくい込む物だった。

「考えてみると俺たちは高校生の頃、どうやってお互いを笑わせようかばかり考えてたよなあ。一つでも面白いことを考えつかないと学校行けないように思ってたよなあ……」もちろん僕達には他にも友人がいたから誰に対してもそうであったはずはない。だが言われてみると僕とKとの関係はそうであったかもしれない。そんなこと考えたこともなかったけれどそれは僕という人間、Kという人間のある一面を的確に描写していた。そしてそんな関係であったKとだけ今でもつき合いが続いていることは僕の本質が煎じ詰めれば真実や成功よりもオモシロイことを選ぶ人間であるということになるかもしれない。

僕が函館からまる一昼夜かけてなんの縁もゆかりもない地方大学の岡山大学を受験したのも、Kが中央大学法学部の合格をけっ飛ばして立命館大学文学部(もちろん立派な大学だけどね)を選んだのも、結局「笑わせよう」とした結果だったのではないか。

「お前よう、もし中央法科を選んでたら今頃どうなってたかなあ……」銀座とは思えぬ安酒場の喧噪の中で僕はKに聞いてみた。Kは「うん、俺はここまで後悔なんかしたことないけどよ、そのことだけは何故か最近たまに考えるねん」

僕は『やっぱりなあ……』と心で思い、何故か少し申し訳ない気分になってしまった。二人とも馬鹿だったのさ、と言い切れもしないし今更謝られてもKも困るだろう。その時僕が反射的にONにした回路は『何かオモロイこと言って笑わせねば』だった。

もう一つの今回の印象的な言葉は残念ながら僕は直接聞いていない。僕は個展初日の朝、岡山から東京へJALで行ったから前日の飾り付けは田中さんにしてもらった。その最中に一人の吹きガラス作家が来た。そして出来上がったばかりの会場を一通り見て彼は一言「ガラパゴス、ですね」と言ったらしい。僕はそれを田中さんから聞いて思わず唸ってしまった。

そう、確かに僕はガラス界のガラパゴスなのだ。生存競争や互いの混ざり合いの中で着々と進化を遂げ、特にこの十年主な美術大学にガラス学科まで出来て(実はそんなことさえ僕は知らなかったのだ!)確実に優秀な遺伝子が支配的になってきた現代のガラス新世界。それに対し僕は完全に孤立し、ガラスガラパゴスという早口言葉みたいな存在になっていたのだ。若いガラス作家が僕の個展を見に来るのは決して先輩作家から何かを学ぼうなんて麗しくも健気なことではなく、ガラパゴス海亀やイグアナを見に来ていたのだなあ。なるほどなあ……。

お知らせ 銀花153号絶賛発売中!売り切れ間近!? 国立科学博物館にて「ダーウィン展」開催中! ガラパゴスの奇妙な生き物もあるよ。