ここ玉野に引っ越してからはや10年以上が経ってしまった。その我が家に初めてグロスマスターKがやってきた。Kとはうんざりするほどの長い付き合いだが思えばグロス以外での付き合いはほぼない。常にグロスカウンターを挟んでのことである。そのKが何をしにきたかと言えば5年ほど前に買ったけれどほぼそのままガレージの奥で燻っている、あるいは仮死状態にある電動アシスト付き自転車「緑の稲妻号」を引き取りに来たのだ。買った時はこれで玉野市内を気持ちよくサイクリングして回ろうと夢見ていたのだがせいぜい一番近い地元スーパーに買い物に行くぐらいで稲妻号はその力を全く発揮させてもらえないままになってしまった。なぜそんな残念なことになったかと言えば我が家は峠のほぼ頂上近くにあって行きは下り坂、帰りは上り坂になっているからだ。その上りでこそ電動アシストの意味があるのだけれどそれでもかなりきつい。玉野には競輪場があってそこの選手、選手を目指している練習生などがこの坂道をトレーニングに使うほど勾配がきつい。女性のウエストほどもある立派な太腿を持つ若者でさえ頂上近くまで上ってきたら我が家にまで聞こえるほどの荒い息を吐いている。そんな坂道の帰り道を想像すると段々稲妻号の顔を見るのが辛くなって毎日見て見ないふりを続けてはや5年。誰にともなくなんだか申し訳ない気分で過ごしていたところ折よくKが引き取って乗ってくれることになった。

さて、今回のテーマはこの電動アシスト付き自転車かというと実は違っていてその時にKがお土産に持ってきてくれた大量の野菜の話である。

僕はまさしく無駄が服を着て靴を履いてるような人間なのだがどういうわけか無駄が何より嫌いだ。特に食べ物を無駄にすることに耐え難い苦痛を覚える。なのに食糧がなくなることに恐怖に近い思いがあるのでつい食材を買い過ぎてしまう。スーパーで「本日のお買い得品」、「広告の品」を見ると反射的に買い込む。一人で食べる量なんて知れてるのに安い食材には理性を超えた引力を感じる。そうして買い過ぎた材料をどうやって食べ尽くすかに知恵のほとんどを使っている。そいうわけでKが運んできた段ボールいっぱいの野菜との壮絶な戦いが始まったのである。

この僕の「無駄嫌い」に関して自分で分析してみたのだがどうもよく理解できない。多分「ケチ」というのとは微妙に違う気がする。ケチというのはおそらく根本は金銭に対しての過敏な感受性が原因だろう。要するに自分のお金が減ることが嫌いな人である。そんなところが全くないとは言えないがケチる以前に元手が知れてるので減るにしてもたかが知れてるというところが救い(?)になっている。とにかく食べ物をはじめとして誰の役にも立たずにこの世から消えていくという現象が憎いのだ。それなら「お前は誰の役に立っているの?」と問われたら思わずへたり込みそうになるけれど人間の場合は存在している限り巡り巡って誰かの役に立っているのではないかな。そんな物騒な話ではなく僕が無闇にこだわっているのは主に「食」に関係したことです。

Kがくれた野菜の中で一番苦労もしたし結果的に面白かったのはパクチーだった。パクチーの独特の匂いが苦手な人も多いが僕は特に好きでも嫌いでもない。料理に入っていれば問題なく食べてしまうがあえて店で買ったことはなかった。それもかなりの量の束だったのでさて、どうやって食べようかなと思案の末に「ビリヤニ」に使うことにした。ビリヤニはインドなどで食べられているある種の炊き込みご飯みたいな料理だ。ビリヤニもどきなら作ったこともあるけれどせっかく大量のパクチーが手に入ったんだからここは本格的に仕上げてみようと思うとまず足りないのがバスマティ米である。昨今お米の高騰が話題だけどこのバスマティ米は日本のお米に輪をかけて高い。1キロで2,000円ほどする。でもここはまなじりをキッと決してAmazonさんに注文した。他に鳥モモ肉やらあれこれ買い足してレシピの倍ほどパクチーを使って作ったビリヤニは素晴らしく美味しかった。経済という観点から俯瞰すれば全く愚かなことであるが僕はよくこういうことをする。冷蔵庫の中の萎かかったわずかなネギを無駄にしないために焼き豚を買ってきて炒飯を作ったり賞味期限が切れてはいるがまだ食べれそうな豆腐一丁を食べるために挽肉を買ってきて麻婆豆腐を作ったり。とにかくなんであれ口に入れて僕の体を通過させることができたら妙な幸せを感じるのである。

Kがくれた大量の野菜たちはこのようにして全て食べ尽くされた。最後のジャガイモをグラタンにして食べ終えた時僕は「ドヤ!」と一人テーブルの下で拳を強く握ったのでした。

あれ以来Kには会っていないが先日メールで「快適に通勤しています」と報告をくれた。我が家ではガレージの隅で宅急便を受け取る任務しか与えられていなかった(宅急便の受け取り方法に自転車かごというのがある)のが今やKの相棒として毎日数キロの道のりを風を切って疾走しているであろう「緑の稲妻号」のことを思うと胸に込み上げてくるものがある。自転車としてこの世に生まれてきて自分の本分を思い出させてくれたKを乗せて毎日お勤めを果たしている稲妻くんの鼻歌が聞こえそうだ。小坂一也の「青春サイクリング」かな。あるいはサディスティックミカバンドの「サイクリングブギ」かな。